箸は右手で持つ派

ちらしの裏

地獄

 

 

お久しぶりですね。

 

去年11月、母方の祖父が亡くなった。

私は通夜葬儀に参列した。祖父を弔うという理由ではなく、母を想ってのことでした。

兄は通夜にだけ来て、明日は仕事の都合が合えば来る。と言い、こなかった。

弟は、あの人のために悲しむ人なんぞ見たくないと通夜も葬儀にもこなかった。

 

私がまだ小学生の頃、祖母やダウン症の叔父へ怒鳴り散らす祖父を見たときから何かがおかしいぞこいつは。と幼心に思っていた。

 

11年前祖父が祖母を突き飛ばし、祖母は骨折してしまい入院することに。その間に調停離婚して祖父と叔父との二人きりの生活が始まった。

程なくして私の家に怒鳴り込んで来て

婆さんはどこだ、母はいないのか、お前は知っているんだろう。わしはそれを知る権利がある。わしはお前のところの墓にも毎年参っているんだぞ。などとほざいた。

 

その一年前くらいに私の両親は離婚しており、母とは連絡もまともにとれておらず、どこに居るかは知っていたが、もうお母さんは離婚して家を出た。行方など知らないと私は答えた。

そんなに恩着せがましくするのなら、墓参りなど必要ない、一生家の敷居を跨ぐな。母も離婚したのだからお前は他人だ。次に会うのはお前の葬式だ。というと豆鉄砲を喰らったような顔を一瞬だけして、また鬼のような顔をしてからわざと大きな音を立てながら帰っていった。

 

交わした言葉はそれが最後。

家が実家の真裏だったので見かけることはあったもののお互い声をかけることもなく月日が流れた。

 

正直訃報を聞いた時は、やっとか。と思った。自分のことをひどい孫だと思った。

けど、仕方がない。なんの思い出もない。祖父のことを何度思い出しても、顔を真っ赤にしながら怒鳴る姿や不機嫌そうに車を運転する姿しか思い出せない。

 

叔父は喋れない。楽しかったり、嫌だったりすると声を上げることはあったが。

たくさん遊んでもらった。ボールを持って公園へ行きたいと言うと、すっと椅子から立って玄関へ向かって、一緒に公園へいってくれた。

布団の上に座る叔父の傍へ行き声をかけると、私の手をつかんで脇腹をくすぐってきて二人きゃいきゃいと笑った。

人が話す言葉の意味はある程度理解できているように思う。

けど、祖父は叔父にひどい暴言を吐いたり、時には言うことを聞かないからと叩いたりもしていたし、喋れず意思の疎通が取れないからと障害年金を使って私腹を肥していた。

 

11年間触れず生きて私も大人になった。亡くなる一年前に祖父が胃潰瘍で入院してからは母が全て手続きして叔父は施設へ入った。

去年の夏、約10年ぶりに叔父にあった。すこし痩せていた。

久しぶり、私だよ。覚えてる?と声をかけると迷いなく私が座っていた隣の椅子に腰をかけて親指の下の方で自分の頬を擦ったりトントンと叩いた。叔父のくせのようなもので、話しかけるとしきりにそうした。懐かしい気持ちになった。叔父の10年を思うと涙が出そうだった。偽善っぽいけど。

掃除の行き届いていない埃っぽいダイニングで席について毎日同じ新聞を何度も何度も読んで、祖父がでかけると言えばそれについて行き、時には家に1人置き去りにされて、祖父は飯炊ババアの家へ泊まりに行ったりしていたらしい。

 

施設へ入ってからも、作業所へ行くことはいくが作業はせず、部屋の中で新聞を何度も読んでいたらしい。新聞は、叔父の唯一の友だったと思う。

けれど、顔を見に行った一か月後くらいに作業もちゃんとするようになったらしい。その時に祖母と母と一緒だったのだけれど、祖母はは叔父に、

ちゃんと作業しないとだめよ。働かないと、ご飯本当は食べられないのよ。

と言っていたからその言いつけを守るために叔父の中で新聞との折り合いをつけたのかもしれない。

それから他の施設の利用者さんたちと仲良くなり、お友達も増えて楽しくやっているらしい。

 

11年と言う長い月日が経って、なんというか、戦いが終わったあと色々なものを失って、これからどうしていくか考えさせられるような。

そんな気持ちになったのでした。

 

きっと私この先の人生、母方の祖父よりも畜生なジジイと出会うことはないと思う。

異常なほど自己愛が強くて外面ばかり良い人だった。きっと今生きて再開していたらムカついてぶん殴っていたでしょう。だから、これで良かったのだと思う。

 

祖父の家から出てきた日記の中の一つに、エンディングノートというおそらく胃潰瘍で倒れた際に病院から支給されたであろうものが出てきて、そのノートの最後のページに、自分が死んだ後誰かに何か言いたいことは?という欄があり、そこには母に宛てて、〇〇(私)は体が弱いから気がかりです、幸せにしてやってと書いてあった。

どの口が言ってんだと思った。勝手に幸せなるよ。

 

後にも先にも私を可哀想という人間は祖父しかいないと思う。

家族って絆に見えて呪いであることもある。

母も祖母も叔父も相当な苦労があったと思う。

私も、当時は高校生で思春期真っ盛りだったので祖父と同じ血が少しでも流れていると思うと穢らわしく思えてたまらなかった。

 

歳を重ね、人と別れて、自分は生きていくんだなぁ。